1週間くらい前の昼下がり、タバコを吸おうと庭に出たら見慣れないものがヨロヨロ動いているのを見つけました。よく見るとそれは鳥の雛でした、しかも3匹も!3階建ての建物の2階ちょい下くらいの壁に鳥の巣があるのは前から知っていたんだけど、どうやらそこから落ちたんでしょう。まだ飛べないようで、ちょうどくぼみ状になってる庭の一部から出られなくなってる状態でした。
内一匹は他の二匹に比べて一回りくらい体が大きく、ちょうどにわとりが飛ぶような感じで低空飛行を繰り返してましたが、他の二匹は本当に小さく弱々しくピーピー泣き叫ぶだけでした。大きいのはとりあえずそのままにしておいて、なんとかちっちゃな二匹を巣に戻そうと試みましたが、どうしても巣の位置には届かない。しょうがないので、せめて飛べるようになるまで世話してやろうということになりました。
と言っても今まで雛を育てた経験なんてまったくない我々は、どうしていいのかわからずダンボール箱に二匹を移動し、肌寒い日で小雨が降っていたので室内に入れました。そして勉強部屋にダッシュ、早速ネットで雛の育て方を調べ始めました。しばらく探して、鳥を専門とする獣医さんのページにたどり着きました。この獣医によれば、「日本の伝統的な鳥の育て方は医学的に見て間違っていて、それが原因でペットとしての鳥の死亡率は50年前からまったく変わっていない」んだそうです。おぉもしろいなぁとか思って読みふけっていたら、知らぬ間に1時間くらいが経過していました。すると階下からフラットメイトの叫び声が!あわてて降りていくと、なんと既に一番ひ弱だった一匹が息をひきとっていました。
あー、俺の責任だぁ!これこそ机上の空論、知識がついてきたなと思った頃にはもう手遅れでした。気を落としながらもせめてもう一匹は大切に育ててやろうと大きめのプラスチック容器と新聞紙を使って巣を作ってやり、食事を与えました。穀類って事でとりあえずごまをすりつぶして少量のお湯でふやかしたものを、先の鋭くない平たい楊子を使って口に入れてやりました。そしたらパクパクと食べてくれるじゃないですか。
しばらく食べさしていたら、見る見る元気になってウロウロ動き始めました。で数分したら就寝。やっぱガキはよく寝るんだなとか思いつつ、なんかめちゃくちゃかわいくなってきて名前をつけてやりました。ゴマで生き返ったから「ゴマ」、アクセントはアザラシのゴマみたいなんじゃなくて食べるゴマと同じ。あくまでも平坦に発音。ふと気になって一番デカかった一匹を見に行ったらすでに庭から消えていました。飛べるようになったのかな。
雛の餌は本来パウダーフードってもので育てるらしいんだけど、そんなもの探しに行く時間もなかったので今日はとりあえずゴマと卵黄でという事になり、3,4時間おき一日4,5回という基準にそって餌をやりました。よくできてるもんでいったん寝てもほんとに3,4時間後には起きて口をパクパクさせてやがる。で食べたらまた寝る。すっかり元気になったように見えたので、明日はもっとちゃんとした餌を買いに行くぞ、と意気込んで我々も就寝しました。
そして翌朝。先に起きたアキコがゴマの死を確認しました。「ウソだ!寝てるだけだろ」と思って見るとやはりゴマは死んでいました。ぐったりした姿勢のまま堅くなっていました。やはり餌がいけなかったのか、室温が低すぎたのか、色々考えても死んでしまったものはもう生き返らない。昨日まで親ばかのようにかわいがっていた雛が死んでしまった。「鳥として飛び立つ前に死んでしまうなんて彼は何のために生まれてきたんだろう」なんて考えながらもどこかで冷静に「これも自然の摂理だ、雛の状態で巣から落ちた時点で普通は助からないんだ」とか色んな考えが頭をめぐり、気がついたら泣きそうになってる自分がいました。
生まれてこのかた金魚以外のペットを飼った事がない自分としては、ペットを家族のようにかわいがったりペットが死んで落ち込んだりする人たちの気持ちが始めてわかりました。今まではどこかで、「動物は人間に所有されるべきもんじゃない」なんて冷めた目で見ていたんだけれど、実際やってみると感情移入してしまうもんですね、かなり。たかが一日でこれだから10年とか飼ったペットはもう家族同様なんだろうな。
前日に 死んだ兄弟とゴマの遺体は、我々の通う学校の向かいにある教会の裏庭に埋葬してきました。人のお墓もある裏庭を勝手に掘り返していたので相当怪しかったはずです。誰にも見つからなくて良かった。。
今回のゴマの一件で、人間の感情移入って何なんだろうって疑問がムクムクとわいてきてる今日このごろ。人形とかぬいぐるみとか命のないものにすら起こる感情移入という現象、この移入は何を基準に起こるんだろう。感情を表す”顔”が基準かなぁ。引き続き考えてみます。天国のゴマとその兄弟、せめてあっちでは元気に飛んでるといいなぁ。
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